『花桜折る中将』(堤中納言物語より)

 やけに月が明るいと思ったら、今日はスーパームーンだった。
 そら、目も覚めますわってことで、ちょっとぶらっと歩いたつもりだったけど、ずいぶん遠くまで来てしまった。女もそのままにしてきたし、後でどやされるぞこれは、と少しげんなりしたけれど、帰るのもめんどくさい。
 あたりはしんとしていた。スーパームーンが爛々と輝き、梢の花が咲き乱れている。その様が、さっきの女の家で見たやつよりもイカしていたので、思わず「そなたへと行きもやられず花桜にほふ木かげにたびだたれつつ」とポエった。
 ポエったあとで気が付いたのだが、この花には見覚えがあった。そういえば、むかし良い感じになった女がここに住んでいたっけ。ぼんやりとむかしを思い返していたら、壁が崩れたところから「ゲホッ、ゲホッ」と苦しそうな声が聞こえ、老人がにゅっと現れた。なんだこいつ、と思いながらもそこかしこと女の家を観察する。周囲は閑散としていて、覗き見をしていても咎める者は誰もいなかった。さっきの老人を呼び止めて、「なあ、ここに住んでた女いただろ?まだ元気してるかね?会いたいから言付けしてくれ」と言うと、老人は「そのねーちゃんならもうおらんでよ。たしか、なんとかってとこに引っ越した」と言う。なんてことだ。とうとう落ちぶれてしまったのかと、少し悲しい気持ちになっていると家の方から話す声が聞こえてきた。
 しめたとばかりに老人を追い払い、薄の陰から覗き見すると、「少納言の君さん、外はあかるいですよ。夜が明けたのかしら」と十二、三の童が出てきた。すごく可愛らしい童で、服装もオシャレだし、なんか子役っぽくて育ちが良い感じだ。そのまま観察していると、童はまるで一端の女のごとく扇で顔を隠し、「この美しい花と月を、好きな人に見せてあげたい」というので、おれは思わず「私ではいけませんか」と言いそうになった。あぶないと思って冷や汗をかいていると、奥の方からまた誰かの声が聞こえた。「季光はまだ起きてないの。あ、弁さんここにいたの」どうやら、これから物詣でに出かけるらしい。「わたしもいきたい!お留守番なんて詰まんない!近くまで一緒に行って、お参りしなければいいんでしょう?」童が駄々をこねるが、「なにバカなこと言ってんの」とたしなめられる。そんなやり取りを見ているうちに、身支度ができてきたのか、人が四、五人わらわらと出てきた。車に乗ろうと、縁側の階段を降りる風情も苦しそうな女が見えた。これが、この家の姫君なのか。なんとも気品のある女だ、と感心しているうちに夜も明け、眠くなってきたおれは家に帰った。
 昼過ぎに目が覚め、昨日の夜、置いてけぼりにした女に手紙を書いた。
 「昨日、おれが帰ったのはあんたの態度が、帰れと言わんばかりに不機嫌だったからだよ」
 女の返事はこうであった。
 「好きでもないわたしに手を出したあなたのこと、こんどはどこの女で心を乱しているのでしょう」
 なかなか粋な返事をしやがると、感心していたところ、「おい、昨晩はどこで遊んでいたんだよ」と源中将と兵衛の佐がおれの脇腹を小突いてきた。「ええ、ずっとここにいたよう」とおれはうそぶいてみせる。
 庭の木々に咲き乱れる桜が、はらはらと散っていく様を見て、源中将が突然、「あかで散る花見るをりはひたみちに」とポエった。そうすると佐が応戦して「我が身にかつはかはりにしがた」とポエった。なにをいうか、死んでしまっては花見もできんぞ、おれならこう詠む。「散る花ををしみとめても君なくは誰にか見せむ宿の桜を」と、おれは渾身のポエムを披露した。そんなふうに戯れながらも、おれは内心、今朝みた姫君の素性を突き止めたいと胸をときめかせていた。
 夕方になって、父君のところに挨拶へ行った。夕暮れの空が霞みわたり、花がセンチに散り乱れている黄昏の景色を、御簾を巻き上げて見てるおれの姿はなんともカッコいいらしい。琵琶をびんびん弾く様なんか、「絶世の美女をも凌駕する優雅さ」なんて評されるありさまだ。ナルシシスティックな夢想にうつつを抜かしていると、光季がふと、「こんなイケメンを女どもがほうって置くわけがねーや。そうそう、陽明門の当たりにグルーヴィに琵琶を鳴らす人がいますよ」と仲間内で言っているのをおれは耳にした。
 「どこのことだ?あの桜が多くあって、荒れ果てた家か?なんで知っているんだ」
 「いえ、一寸ね」
 「いや、おれも知ってるわ。詳しく話してくれ」
 光季はあの可愛らしい童と良い感じの仲になっていたらしい。おれは光季から姫君のことを詳しく聞いた。亡くなった源中納言の娘で、すごく美しいと評判の女らしい。しかし、女の叔父が取り計らって、帝に献上させようとしているという話を聞くやいなや、おれは「先に頂く。なんとかならないか」と光季に頼み込んだ。光季は困った様子で「そうしてあげたいが、どうしたものか」と立ち去っていった。
 おれからの頼みだから断れもせず、光季は例の家へと赴いた。そして可愛らしい童に事情を話すことにした。すると、最初は怪訝な表情を見せていた童だったが、若さからくる無防備が垣間見えて「よい機会があれば、お知らせします」と根負けしてしまった。
 そして機会がやってきた。光季が「今夜が都合いいらしいですぜ。ぐへへ」と言ってきたので、おれは嬉々として夜がふけてから早速参上することにした。
 光季の車で目立たないように家の側まで行った。童がこっそり家へあげてくれたので、おれは奥の部屋へ行き、ほの暗い灯りの中で眠っている小柄な女をひょいと抱き抱え、車に押し込んだ。やったぞ。ついに女が手に入った。そのまま車を急いで走らせると、さらわれた女はわけもわからず驚いていた。そしておれも驚いていた。
 じつは、今夜あたり用心が必要と聞いて女のおばあちゃんが奥の部屋で寝ていたのだ。もともと小柄で、一寸寒かったので服を被って寝ていたところをおれが姫君と勘違いして連れ去ってしまったらしい。
 おれの家について、車を寄せたとき、ふるえた声で「おやまあ、これはだれなの」とおばあちゃんは言ったのである。
 なんとも間抜けな話である。おばあちゃんはおばあちゃんで美しかったけれども。