眩暈

 いつしか日も長くなり伸びた陰から微かなゆらめきを感じ取った。幻のように思えたそれは次第に現実味を帯びて私の躰を刺激した。かなしみにも似た曖昧な気持ちを抱きながら私はゆれるのだった。それが地震だとわかったのは荒れ狂う電線の束を見たあとのことだ。大地は軋み。木々はしなる。夕暮れ時に帰ってゆく鳥たちは消え奇妙な静けさだけがうねるように存在していた。
 地震はすぐにおさまった。私の躰だけがいつまでもゆれているようで僅かな嘔吐感を覚えた。こういうとき健司さんでも居てくれたらと私は彼の忙しさを恨んだ。支えるものが欲しい。なんでもいいからずっしりと地面に生えた肉体に抱きしめられていたかった。健司さんは三日ほど前から大阪へ仕事で出かけていた。彼が向こうへ行ってから一日目の夜。孤独に耐えかねた私は彼に手紙を書いた。とても短い手紙だった。さびしさを文章に塗りたくり切手にかなしみを染み込ませた。君の文章は聡明でいて同時に幼児性を秘めている。かつて彼は言った。私はどういうこと?とは聞かなかった。質問することは彼を苦しめてしまうから。ふらつきながら私は歩く。私のゆれはまだおさまっていなかった。視線を杖のように地面に突き刺し躰ぜんたいを支える。頬を垂れる汗が鼻をつたいポトリと落ちた。ぐらぐらになる頭を持ち上げて景色を捉えたときだった。けたたましいブレーキ音が悲鳴のような発声を伴い私の鼓膜を震わせた。鈍い音が静けさの中に鳴る。音のしたほうを見ると子供がまるで物体のように転がっていた。二度と動かないように思えた。周囲はにわかに騒がしくなり人々が子供を取り囲むように集まった。誰も子供に手を触れようとはしなかった。私は思わず嘔吐し逃げるようにその場を去った。首筋がつんと冷たくなり世界がまるで私と関係なくなってしまうような感覚に陥った。健司さん。私は声に出して言った。私は明らかに彼の肉体を欲していた。
 あの出来事があってから私の中で健司さんの不在がある種の現実性を持って憂鬱の根をはった。彼が大阪へ行ってからすでに一週間が経過していた。手紙の返事はまだ来なかった。私は棄てられたのかしらと畳に寝転がり鬱を数えた。あきさん。あきさん。母が私を呼ぶ。あきさん。いつまでそんなにだらだらしてらっしゃるの。映画でも観たらどう。丁度チケットがあるの。母は猫を愛玩するような声で言う。ごめんなさい。気分じゃないの。お母さまだけでいってらして。私は母に背を向けたまま言った。母はそれ以上なにも言わなかった。毎日のようにポストと畳の往復だけで一日を過ごしている私を母は心配しているようだった。いっそのこと見合いの話でもこないかしら。見ず知らずの男と結婚して健司さんに復讐してやりたいという安易な考えが過った。
 襖の向こうから水の音が聞こえる。どうやら外は雨だった。私は相変わらず畳の目を爪で引っ掻きながら健司さんのことを考えていた。健司さん。健司さん。どうしてあんな男に拘るのか私にもわからなかった。ごろりと寝返りをうって乱雑に重ねられた本の山から一冊手にとった。ヘンリー・ミラーの『南回帰線』だった。まだ読んだことはなかったけれど今の気分にぴったりだわとなんとなく笑ってみた。
 一週間と少しの日が過ぎた。いまだに健司さんからの便りはなかった。雨はあがり茹だるような暑さが私の躰を蝕んだ。あのトラックに轢かれた子供は助かったのかしら。罪にもにた心のざわめきが脇のあたりのしこりとなってびんびん痛んだ。私は逃げたんだわ。あの状況から。でも逃げるしかなかった。ひとりでは健司さんがいなければ私はただの女ですもの。あっと目が冴えたかと思うと途端に眩暈が襲う。目が。回る。女ひとりの肉体では立つことすらままならない。このまま私は回りつづけながらあの人の手紙をまつのだろう。ささくれた畳の目に熱っぽい吐息を吹きかけながら私はゆれつづけた。

ベストオブ映画タイトル画面

日々、映画タイトル画面をアップローディングする作業に従事しているため、そろそろベスト映画タイトル画面を決定しなければいけないなという強迫観念にかられましては今回のブログを書く次第です。

 

映画タイトル画面というと、赤字ででかでかとそのタイトルを惜し気もなく披露している印象ですが、中にはアクロバットなタイトル画面も存在するわけで、今回は王道なものからアクロバットなものまで網羅した極個人的なランキングにしたいとおもいます。

 

10位 『暴力』
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シンプルなタイトルが魅力的ですね。監督は吉村公三郎。暴力といっても、ジャーナリスティックに一歩引いた視点から暴力を描いた映画です。淡々と悲劇を描く様に、少し残酷な感じがしてやりきれない気持ちにさせられます。

 

9位 『赫い髪の女』f:id:sholivia:20190409071815j:image

監督は神代辰巳。『どてらい女』をバックにタイトルが出るまでの一連の流れが神がかっています。映画史に残るオープニングだとおもいます。オシャレなタイトル画面ですね。


8位 『XX 美しき獣』

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ダサかっこいいタイトル画面。いかにも90年代Vシネって感じが最高です。監督は池田敏春。タイトルが出る際の効果音もバカバカしくて最高ですよ。本編も最高に面白いので一見の価値ありです。

 

7位 『日本沈没
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かっこいいですよね。こんなのが大スクリーンに映し出されたら興奮してしまいますよ。監督は森谷司郎。言わずと知れた名作ですね。丹波哲郎の一世一代の名演が見られます。

 

6位 『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』
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アヴァンギャルド時代劇の傑作。タイトル画面もぶっ飛んでます。監督は三隅研次三隅研次の狂気性が開花したシリーズ物です。

 

5位 『夜の片鱗』
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桑野みゆきが夜の女を演じた中村登監督作品。ネオンに浮かぶ桑野みゆきに青字のタイトルがオシャレ。個人的に青字タイトルに弱いところがあります。

 

4位 『天使のはらわた 赤い教室』
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天使のはらわたシリーズから。監督は曽根中生。シンプルで良きタイトル画面です。


3位 『ある殺し屋の鍵』
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バックのおどろおどろしいデザインが魅力。ある殺し屋シリーズの二作目です。個人的に「Westrex」のロゴが入っているのもポイント高しです。

 

2位 『県警対組織暴力

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これはもう満場一致でカッコいいでしょう。なにもコメントはありません。深作欣二作品。

 

1位 『吸血鬼ゴケミドロ
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個人的にベストオブベストなタイトル画面。吸血鬼の「吸」の字が最高にクール。これ以上のタイトル画面にはまだお目にかかってませんが、色々深掘りして探していきたいです。

 

どうしても70年代の日本映画ばかりになってしまいましたが(その頃のタイトル画面がずば抜けてセンスが良いので)、海外作品なんかもご紹介できればとおもっています。

短篇『ちりんちりん』

 部屋でぼうっとしていたのです。したら、ちりんちりんとどこからか聞こえるじゃありませんか。はじめのうちは、ややっ風流だなあって、そのくらいの感想でした。でも、ちりんちりんちりんちりんちりんちりんと続けざまに鳴るのでさすがの僕もむっときて、うるさいなあ、と窓を開けました。すると、ちりんちりんはぴたっと鳴りやみ、春の陽射しがふわふわとのんびり声をあげていました。僕の怒りが伝わったのだな、と安心して窓をしめました。ぴた。窓を締めた瞬間でした。再び聞こえたのです。そうです。ちりんちりんがけたたましく鳴り始めたのです。ちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりん。とうとう僕はぶちキレて、叫びながら窓を開けました。するとどうでしょう。またぴたっと鳴りやんだのです。これは嫌がらせにちがいない。塀のかげから僕のことをほくそ笑みながら観察しているにちがいないと思いました。どうしたものでしょうか。このまま窓を開けっ放しにするべきか。しかし、窓を開けていたところでちりんちりんが鳴らない保証はないでしょう。第一、窓をあけていたら花粉が入り込んで、くしゃみが止まらなくなります。ぼくはそれも嫌だなあと思い、窓をしめました。ちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりん。ちりんちりんは水を得たように鳴り響きます。僕は発狂しそうになる気持ちを抑え、精神を統一しようと努めました。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。しかし、ちりんちりんの音は次第に大きくなってゆきます。僕が念仏を唱えれば唱えるほど、その音は共鳴し、地獄のような音量になってゆくのです。耐えられません。とうとう僕は玄関のドアを開け、外へ飛び出しました。そして、僕は見てしまいました。この世のものとはおもえない景色を。僕はこの光景を詳細に伝えられる自信がありません。しかし、千人もの坊主頭がニヤつきながら僕を見て、一斉にちりんちりんを鳴らしていると言えば、その異様さは伝わるでしょうか。僕はとうとう狂いました。おもいっきり走って逃げました。しかし、千人の坊主頭はちりんちりんを鳴らしながら追いかけてきます。自転車と生身の人間では速度が違います。僕はとうとう追いつかれ、千人もの坊主頭に取り囲まれました。ちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりん。やめてくれ!僕は泣き叫びました。僕が何をしたっていうんだ!後生だからやめてくれ!僕の周囲は涙と鼻水で水浸しになりました。おしえてくれ!なんでそんなことをするんだ!僕に恨みでもあるのか!僕は言いました。心の底から出たことばでした。極めて純粋なことばでした。すると、豪雨のようなちりんちりんは止み、千人の坊主頭はぽかんとした顔をしました。互いに目を合わせ、首を傾げています。助かったか、と思った瞬間でした。なにか合図があったのか、千人の坊主頭が一斉に笑いだしました。僕は涙で目の前の景色が滲みました。嵐のような笑い声のなか、坊主頭のひとりが僕の方へと歩みよりました。ゆっくりとゆっくりと。殺される。ある種の不安が頭を過りました...

 おれはゲラゲラ笑いながらペンを置いた。われながらバカな話を考えるもんだな。ブハハハ。暇であったのですこしばかり物語を書いてみたのだ。結末はどうしようか。初期衝動のままにペンを走らせたので結末を用意していなかった。おれは、いったん頭を整理しようと、お茶をいれた。お、茶柱がたってる。ほほほ。とのんびり春の陽気にあたまを沸かせてた時であった。ちりん...。窓の外から微かに音がした。ん?バカな話を書きすぎてとうとう頭もおかしくなったのかと思い、気にしないよう、再び春の陽気を楽しもうとした。ちりんちりん。今度ははっきりと聞こえた。ちりんちりんちりんちりん。これはと思ったは時すでに遅しであった。おれは発狂の渦へと呑まれていったのだった。

短篇『わたしは戦わない』

 今日になって三度目の警報であった。戦争は男たちを駆り立て、新聞やテレビが連日のように戦況を報道する。むつかしいことばを並べ立て、日本がいかに優勢であるかを伝える。わたしにはかんけいのないことだった。日本が勝とうが負けようが、日本という国が滅びようが、わたしにはかんけいのないこと。男たちはバカみたいに死んでゆき、残された家族はお国のためだと涙をこらえる。これは喜劇だ。国をあげた喜劇だ。わたしは本を読みながら警報を聞いた。センターへにげようか。そう思ったけれど、どうも足が動かない。センターでは今日も議論が交わされているのだろう。わたしには到底理解できない国家について。わたしは国というものに何の感想も抱いたことはなかった。わたしは確かに、日本という国に生まれた。日本の制度に育てられ、日本の教育を受けてきた。しかし、それがなんというのか。わたしは選んで日本に生まれたわけではない。日本人ある前に、わたしはわたしだ。
 読んでいた本を閉じ、戦地へ飛んだ男について考える。男はわたしにこの本を残していった。ぼくが帰ってきたときに感想を伝えてくれと言って。わたしは男のことを愛してはいなかったけど、男の目があまりにかなしみにみちていたので読んであげることにした。はんぶんほど読んだころに男が死んだという知らせが入ってきた。感想伝えられないじゃない、とわたしはかなしみに似た気持ちになったのをぼんやりと覚えている。それからわたしは、この本を戦争が終わるまで何度も読み続けてやろうと思った。それが戦わないことを選んだわたしのひそかな抵抗。この国にたいしての女の抵抗。
 悲鳴に似た音とともに、何かが崩れる音が聞こえた。空襲が始まったのだ。ベランダに立ち、遠くを眺める。柱のように黒煙が上がり、点々と赤い炎が見える。爆撃機が大地を揺らしながらこちらへ向かってきて、わたしの頭上を越える。ばりばりと家屋が崩れる音がずいぶん近くで聞こえる。あの東京大空襲もこんな感じだったのだろうとぼんやりと思う。せめて最後くらいは誰かと抱き合っていたかった。そんなふうにこころが少しセンチになる。本をくれた男の顔が浮かぶ。あなたは戦うことを選んだ。だけどわたしは戦わない。あなたの人生だからわたしは何も言わない。だからあなたも何も言わないで。わたしは戦わない。焼けるような痛みが肌を走る。本棚が燃えながら倒れてくる。すでにわたしの右手は焼け落ちていた。つぎは左手。右足。左足。芋虫のようになったわたしの目は戦争を見る。わたしは戦わない。髪の毛は焼け、背中を無数の針が刺してゆく。焦土からは人間たちの音のない悲鳴。バカみたい。ほんと、バカみたい。

短篇『豆大福』

 松風と書かれた人力車が私の前を通りすぎた。おおきな車輪は滑るようにアスファルトを走る。すごく軽そうだった。どこへ向かうのかは知らない。ぼんやりと往来の人間たちが視界に入ってくる。錦鯉のような品のない着物を纏った若い女が互いに写真を撮りあい、外人が嬉々として指をさす。交差点の信号が青になり、人間たちが道路へ侵入する。とたんに私は観光地の景色となった。
 家まで歩いて帰ろうと思った。なんとなくそう思った。東武浅草駅を越えて隅田公園を歩く。ふと立ち止まって、スカイツリーを仰ぎ見る。ここにはアメリカに殺された女や子供が埋まっているのかと思うと、空をつんざくような棟を見たって、かなしみが募るだけだった。私のかなしみはいつも私と関係のないところからやってきた。教科書にのるような大昔の出来事、たとえば本能寺の変のような出来事からも。信長とともに死んでいった市のこころを思うと酷くかなしくなる。そんなだから勉強に手がつくはずもなく、私は行きたい大学へは行けなかった。いつだってかなしんでいた。私のかなしみは想像でしかないけれど、私の感じるかなしみはほんものだった。
 そんなふうにかんがえごとをしていて、ぼけっと突っ立っていたから私を追い越してゆく人間たちがちらちらと視線を浴びせる。暖かそうなコート。繋がれた手を見る。遠慮がちに絡まる指は、これからを連想させて憂鬱になる。どうしてそんなに鮮やかな顔ができるのと嘆きたくなるのをこらえ、私は歩きはじめる。
 言問橋を渡る。スカイツリーはいつまでも私をとらえている。私の生活にはスカイツリーが生えていた。くるくる回る電飾は私の身体に纏いつき、私をはなそうとはしない。人はスカイツリーが見れて良いねという。しかし、毎日ともなると強力な電波に冒されてないか心配になってくるものだ。悲鳴に似たエンジン音に驚き振り返ると、例のマリオカートの集団が得意気に私を追い越していった。
 家まではもうすぐだった。言問通りを北に曲がり、向島へと入る。私は少し不安になった。あの虚無のような空間が待ち受けていると思うと、まっすぐ帰りたくはなかった。しかし、どこか寄り道しようにも寄り道できるところを私はしらない。いつもは電車で通りすぎてしまう町だった。そう思うとすこしふしぎな感覚がした。意識的に町を眺めると、豆大福と書かれた看板が目に入った。そうだ豆大福だ。豆大福を買って帰ろう。お茶をすこし濃い目にいれて、豆大福にかぶりつく。先刻までの憂鬱は消えていた。私はすこし足早に豆大福の看板を目指した。スカイツリーは私の背後にあった。

連作小説『狂い死のポルカ』②

 源三郎は江戸へ参りたいと思った。江戸には最先端のクラブがある。ゴリゴリのEDMで腰が砕けるほど踊り明かしたいという夢があった。そのためには、この現状をなんとかしなければなるまい。父上に頼んでみたところで徒労であろう。父上はクラシック信奉者でEDMなんか音楽であらぬ、世俗の発狂のようなものと評されているのだ。故にクラブに行きたいなぞもっての他。幽閉期間の延長に終わるだけであろう。交渉が駄目であるなら、強行突破しかない。しかし、山小屋には常に見張りがついている。それも屈強なお侍で、十歳の源三郎には敵うはずもない相手であった。しかし、源三郎には知恵がある。力で敵わないのなら頭脳戦である。
 源三郎は大きな音を立ててぶっ倒れた。そこへ見張りのお侍が慌てた様子でやってくる。名を弥助と申した。「ぼっちゃま!どうなされた!ご気分でも悪いんでありますか?」源三郎は苦しげな声で言う。「弥助や、余は疲れた。話相手になってくれぬか」「しかしお父上にぼっちゃまには構うなと言われておりまする」「頼む。後生じゃ」「し、しかし」「ほんの一寸でいいんじゃ。話相手がおらぬと気が狂うてしまう。何をするかわからんでね」その言葉に恐れをなした弥助は源三郎に従うことにした。いくら屈強なお侍とて、狂人には底知れぬ恐怖を感じていたのだ。
 「なあ、弥助」「は、はい、ぼっちゃま」「余と江戸へ参らぬか?」「え、なぜ拙者がぼっちゃまと江戸へ?」「江戸はいい感じのクラブがわんさかあるらしい。書物で読んだ」「しかし、拙者はクラブなぞ興味はござりません」「おなごも江戸へ集まるとも読んだなあ」「おなご?」弥助の目にキラリと光るものがあった。「ぼっちゃま、よしてくだせえ」「江戸のおなごはここらのおなごと比べ物にならぬ程の器量。三味線なぞグルーヴィに弾くと噂じゃ」弥助の額から一筋の汗が頬を伝って落ちた。「拙者は武士である身、おなごでうつつを抜かしてる暇などござりませぬ。今はぼっちゃまを監視するお役目。お父上に面目が立ちませぬ」源三郎は声をあげて笑った。「うぬはここで満足しているのか?ここには何がある?下らない武士道とて何の意味がある!武士の時代は終わったのじゃ。世を見てみい。おなごはクラブで狂い、異国の男に首ったけじゃ。あの黒船というものが日本へやってきてから、この国は変わったのじゃ。弥助!武士という意地を捨てい!」弥助は苦しげに顔を伏せた。しかし、これは弥助の演技であった。弥助の頭の中では煩悩が愉快に踊り狂っていた。「ぼ、ぼっちゃまあ」弥助は泣きそうな顔で言った。「これ以上はやめてくだせえ。拙者も武士である以前に、ひとりの男でござる」「だから武士を捨ていと申したのじゃ。男として生きてみる気はないのか?金はあるぞ。父上が余のために蓄えてきたというお受験費用が蔵の中に。それをうぬに拝借してきてもらいたいのじゃ。よいか?弥助や」「へ、へえ」
 弥助はとんでもない船に乗ってしまったと思った。江戸のおなごも見てみたい、とも思った。弥助は葛藤した。しかし、その葛藤はあくまでも弥助の自尊心を保つものでしかなかった。弥助の葛藤は次第に煩悩へと変わり、弥助の足はお受験費用が蓄えられているという蔵の方へと向かっていた。

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(③へ続く...)

『花桜折る中将』(堤中納言物語より)

 やけに月が明るいと思ったら、今日はスーパームーンだった。
 そら、目も覚めますわってことで、ちょっとぶらっと歩いたつもりだったけど、ずいぶん遠くまで来てしまった。女もそのままにしてきたし、後でどやされるぞこれは、と少しげんなりしたけれど、帰るのもめんどくさい。
 あたりはしんとしていた。スーパームーンが爛々と輝き、梢の花が咲き乱れている。その様が、さっきの女の家で見たやつよりもイカしていたので、思わず「そなたへと行きもやられず花桜にほふ木かげにたびだたれつつ」とポエった。
 ポエったあとで気が付いたのだが、この花には見覚えがあった。そういえば、むかし良い感じになった女がここに住んでいたっけ。ぼんやりとむかしを思い返していたら、壁が崩れたところから「ゲホッ、ゲホッ」と苦しそうな声が聞こえ、老人がにゅっと現れた。なんだこいつ、と思いながらもそこかしこと女の家を観察する。周囲は閑散としていて、覗き見をしていても咎める者は誰もいなかった。さっきの老人を呼び止めて、「なあ、ここに住んでた女いただろ?まだ元気してるかね?会いたいから言付けしてくれ」と言うと、老人は「そのねーちゃんならもうおらんでよ。たしか、なんとかってとこに引っ越した」と言う。なんてことだ。とうとう落ちぶれてしまったのかと、少し悲しい気持ちになっていると家の方から話す声が聞こえてきた。
 しめたとばかりに老人を追い払い、薄の陰から覗き見すると、「少納言の君さん、外はあかるいですよ。夜が明けたのかしら」と十二、三の童が出てきた。すごく可愛らしい童で、服装もオシャレだし、なんか子役っぽくて育ちが良い感じだ。そのまま観察していると、童はまるで一端の女のごとく扇で顔を隠し、「この美しい花と月を、好きな人に見せてあげたい」というので、おれは思わず「私ではいけませんか」と言いそうになった。あぶないと思って冷や汗をかいていると、奥の方からまた誰かの声が聞こえた。「季光はまだ起きてないの。あ、弁さんここにいたの」どうやら、これから物詣でに出かけるらしい。「わたしもいきたい!お留守番なんて詰まんない!近くまで一緒に行って、お参りしなければいいんでしょう?」童が駄々をこねるが、「なにバカなこと言ってんの」とたしなめられる。そんなやり取りを見ているうちに、身支度ができてきたのか、人が四、五人わらわらと出てきた。車に乗ろうと、縁側の階段を降りる風情も苦しそうな女が見えた。これが、この家の姫君なのか。なんとも気品のある女だ、と感心しているうちに夜も明け、眠くなってきたおれは家に帰った。
 昼過ぎに目が覚め、昨日の夜、置いてけぼりにした女に手紙を書いた。
 「昨日、おれが帰ったのはあんたの態度が、帰れと言わんばかりに不機嫌だったからだよ」
 女の返事はこうであった。
 「好きでもないわたしに手を出したあなたのこと、こんどはどこの女で心を乱しているのでしょう」
 なかなか粋な返事をしやがると、感心していたところ、「おい、昨晩はどこで遊んでいたんだよ」と源中将と兵衛の佐がおれの脇腹を小突いてきた。「ええ、ずっとここにいたよう」とおれはうそぶいてみせる。
 庭の木々に咲き乱れる桜が、はらはらと散っていく様を見て、源中将が突然、「あかで散る花見るをりはひたみちに」とポエった。そうすると佐が応戦して「我が身にかつはかはりにしがた」とポエった。なにをいうか、死んでしまっては花見もできんぞ、おれならこう詠む。「散る花ををしみとめても君なくは誰にか見せむ宿の桜を」と、おれは渾身のポエムを披露した。そんなふうに戯れながらも、おれは内心、今朝みた姫君の素性を突き止めたいと胸をときめかせていた。
 夕方になって、父君のところに挨拶へ行った。夕暮れの空が霞みわたり、花がセンチに散り乱れている黄昏の景色を、御簾を巻き上げて見てるおれの姿はなんともカッコいいらしい。琵琶をびんびん弾く様なんか、「絶世の美女をも凌駕する優雅さ」なんて評されるありさまだ。ナルシシスティックな夢想にうつつを抜かしていると、光季がふと、「こんなイケメンを女どもがほうって置くわけがねーや。そうそう、陽明門の当たりにグルーヴィに琵琶を鳴らす人がいますよ」と仲間内で言っているのをおれは耳にした。
 「どこのことだ?あの桜が多くあって、荒れ果てた家か?なんで知っているんだ」
 「いえ、一寸ね」
 「いや、おれも知ってるわ。詳しく話してくれ」
 光季はあの可愛らしい童と良い感じの仲になっていたらしい。おれは光季から姫君のことを詳しく聞いた。亡くなった源中納言の娘で、すごく美しいと評判の女らしい。しかし、女の叔父が取り計らって、帝に献上させようとしているという話を聞くやいなや、おれは「先に頂く。なんとかならないか」と光季に頼み込んだ。光季は困った様子で「そうしてあげたいが、どうしたものか」と立ち去っていった。
 おれからの頼みだから断れもせず、光季は例の家へと赴いた。そして可愛らしい童に事情を話すことにした。すると、最初は怪訝な表情を見せていた童だったが、若さからくる無防備が垣間見えて「よい機会があれば、お知らせします」と根負けしてしまった。
 そして機会がやってきた。光季が「今夜が都合いいらしいですぜ。ぐへへ」と言ってきたので、おれは嬉々として夜がふけてから早速参上することにした。
 光季の車で目立たないように家の側まで行った。童がこっそり家へあげてくれたので、おれは奥の部屋へ行き、ほの暗い灯りの中で眠っている小柄な女をひょいと抱き抱え、車に押し込んだ。やったぞ。ついに女が手に入った。そのまま車を急いで走らせると、さらわれた女はわけもわからず驚いていた。そしておれも驚いていた。
 じつは、今夜あたり用心が必要と聞いて女のおばあちゃんが奥の部屋で寝ていたのだ。もともと小柄で、一寸寒かったので服を被って寝ていたところをおれが姫君と勘違いして連れ去ってしまったらしい。
 おれの家について、車を寄せたとき、ふるえた声で「おやまあ、これはだれなの」とおばあちゃんは言ったのである。
 なんとも間抜けな話である。おばあちゃんはおばあちゃんで美しかったけれども。